2009/02/14

2009年オリーヴ植樹プログラム-5


 オリーヴ植樹プログラム第6日の抄訳。

第6日(2月12日):ヘブロン
 アブラハムとサラ、イサクとリベカ、ヤコブとレアの墓があるイブラヒムモスク(ゴールドスタインの乱射事件のあったモスク-みずやるひと)までの僅か100メートルほどの間で、わたしたちは3カ所のチェックポイントを通らなければなりませんでした。ヘブロンは、西岸の他の都市と違って、イスラエル人入植者が、旧市街の中心部に、パレスチナ人の家屋の隣や上の階に住み着いています(上の階からゴミを投げ捨てるので、旧市街には鉄製ネットが張られています-みづやるひと)。
 オランダからの参加者、フランツは、「地中海からユーフラテスまですべてユダヤの土地で、パレスチナ人に対する不正義など存在しない」と主張する入植者と言い合いになりました。最も若い参加者、ジュネーヴからやって来た20歳のレア・キンバーは遭遇したことにこころ動かされました。「わたしはイスラエルに惹かれてきた」とユダヤ系のレアは言います。イスラエル旅行を計画しましたが、彼女の祖父、ドナルド・フィリンガーがオリーヴ植樹プログラムに参加すると聞き、「青天の霹靂のように」一緒に行くと決め、その5日後にはベイトサフールにいたのでした。彼女のはじめの数日は超現実で「すべてがジョーク、ヴィデオゲームの中にいるように感じた、わたしの現実をあまりに越えていて」でも今日、「わたしはシオニストと話すフランツをみて、いたたまれず離れて涙が込み上げてきて、これは現実、もはやジョークじゃない」と言いました。
 その後、わたしたちは旧市街にあるヘブロン回復委員会のオフィスを訪ねました。委員会は200から800年前の建築物を修復したり建て直して、旧市街に再びパレスチナ人が住めるよう努めています。また「みなさんにも無料で住居を提供できる、電力も水道も提供できるが、安全ばかりは提供できない」と語りました。
 それから、迷路のような旧市街を歩き、新市街で昼食、ベイトサフールに帰る前、ガラス工場に立ち寄りました。

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